別邸|24時間お墓参りができるお寺 祥雲寺

別邸

一般的な寺社施設のほかに、「別邸」と呼ばれる建物があります。昭和9年に起きた火災からの復興にあたって旧皇族・伏見宮家より譲り受け、仮本堂として使っていました。現存するのは、書院と呼ばれる和館と、鹿鳴館風の洋館。どちらも皇族ゆかりの格調の高さに加え、明治・大正の華やかな意匠が施されています。

宮邸移築の経緯

東京大学心理学部を卒業した第三十世和尚は、住職として寺を守る傍ら、市ヶ谷陸軍学校で教鞭をとっていました。その時の学生の中に若い皇族がおられ、火事に見舞われた祥雲寺の窮状に接して、縁りの方々に呼びかけてくれました。そして昭和10年、祥雲寺に運びこまれたのが、今の中野坂上あたりにあった伏見宮家別邸です。譲り受けたのは、同家の兄弟が使用していた2つの和館と洋間の計3棟。東御殿(和館と洋間)を仮本堂に、西御殿(和館)を方丈(住職の住まい)として用い、戦後の苦しい時代を過ごしました。その後、西御殿は祥雲寺と縁りの深い神奈川県伊勢原「勝興寺」※に移築され、法事等の客間として使われています。
※先代住職の時代から祥雲寺と縁りがあり、現在は、祥雲寺住職の実弟が住職を努める。

書院

広々とした大広間で法事や祭事、精進落としの会場として使われています。欄間やランプなど、随所に皇族のモチーフが見られるほか、ゆらぐ和硝子越しに眺める中庭は仏の世界を想わせるような風情です。

洋間

伝統的な洋館建築で、法事の控え室や休憩室として使われています。皇族の印・菊模様をモチーフにしたランプや、アーチ型の飾り窓に、外国文化が花開いた大正・明治の華やかな暮らしぶりが映し出されるようです。