寶永6年(1709年)正月10日、5代将軍綱吉公が亡くなり、御台所(妻)である鷹司氏
は出家して、浄光院殿と呼ばれるようになった。それにより、当時第13世笑翁宜悦和尚は、当寺の名前が鷹司氏の法号(授戒の時に授かる称号)と同じであることに遠慮し、同年3月9日鳥居因幡守へお伺いをたてた上、新しく当寺の大檀越(有力な庇護者)となられた戸田康長公の法号、祥雲院殿一運宗智大居士に因んで、この時から浄光院を改めて祥雲寺と称するようになった。
戸崎台への移転から280年の後、第29世善翁篤友和尚は、当時は遙かに富士山を仰ぐ事の出来た池袋原に祥雲寺を移すことを決意し、明治36年から移転を開始、大正4年(1915年)に移転が完成したが、昭和9年3月4日、不慮の災難に遭い、堂塔は全て無に帰した。
第30世篤仙頼應和尚は、檀家と共に伽藍の復興に努め、旧伏見宮家御別邸を譲り受けて、翌年2月に東御殿を書院に、西御殿を方丈に移築した。
そして前住職、第31世喚三應一和尚の時に、本堂建立を行い、それが現在の本堂である。また、平成8年には客殿・庫裏の新築をした。
現住職の第32世大観応人和尚は、本堂内階段へのリフト設置・玄関前のスロープの設置など、車椅子等のまま参拝できるバリアフリーの寺院を目指している。